ネクタイもスーツも捨てました

体も心も軽くなったおじさんの話しです

おせわになった人のはなし

緩和病棟へお見舞い

 その人は僕が物心ついた頃から家で働いていた。その人は中学卒業と同時に沿岸から内陸にある僕の家で住み込みで働きはじめ、定年退職を迎えるまで勤めて頂いた。家が商売をはじめ忙しいときは商売も手伝い、少し面倒くさかった祖母の面倒も見てくれた。昭和30年代は、そういう人がたくさんいた。住み込みで働き、針仕事や料理を覚え、お嫁さんに行くときはその支度をして送り出すのが当時の文化だった。その人は近くの人と結婚し子どもを設けてもずっと家の仕事をして頂いた。定年になってからも、お盆前には何も言わずお墓の掃除もしてくれた。時々庭の草が綺麗になっているのもその人が自主的にしてくれていた。昨年暮れ、母親と家を訪ねお歳暮と日頃の謝礼を少しばかり置いて帰ってきた。何日かするとまたお庭が綺麗になっている。

 1週間ほどまえ、娘さんから電話があり病院の緩和ケアに入院しているとの事。緩和ケアという事は...である。コロナにて簡単に面会は出来ないけど、会いたい人の名前を病院に伝えた人だけ病室であえるようだ。昨日母とお見舞いに行ってきた。

 全く変わり果てた姿に涙が出そうになった。その人は苦しいながらも一生懸命、『お世話になりました有難うございます』と言ってくれる。

 母も私ももう少し長く居たかったけど、これ以上居ると涙があふれてしまい、気を遣わせそうだったので早々に切り上げてきた。

 帰りの車中、色んな思い出を母と話した。

 そんなに長く生きられないだろうという事が分かった。

 〇〇ちゃんと僕は物心ついた頃からそう呼んでいた。

 看病をされている娘さんは大変で勝手な事だと思うけど、もう少し長く生きていてほしい。

 僕はその人のように、苦しいベットの上で有難うと言えるのだろうか?

 人から有難うと言ってもらうより自分からありがとうといえる人になりたいものだ。

  

またまた…診察を延期しました。

いつになったら行けるのだろう?

 

 2月16日に東京で術後診察を受ける予定でした。この日程も3回延期したものです。

昨年の2月に診察して以来一年間何もしていません。今度は7月中旬にしてもらったのですが、その頃はどうなっているのでしょう?緊急事態宣言、ワクチンの普及で沈静化している事を願うばかりです。

 この一年間全く県外へ出かけていません。外出はリハビリとブログの為にお菓子屋さんを巡る程度です。昨年の今頃迄約1年間酒を断ち、おかげで体重が15㌔ぐらい落ちたのですが、最近ズボンをはくとボタンがきつくなっているので完璧にリバウンドしているとおもいます。気持ちを紛らわせる為にお酒も飲み始めました。怖いのは1リットルのウイスキーが2日で飲み切ってしまっています。食事はいつもの通り、お菓子を食べて酒を飲んでいると太るのは当たり前のことです。もしかして完全に良くなっていた血液の数値も悪くなっているとおもいます。

 

さて、この数日雪が降り続きました。岩手にしては多いくらいの積雪量です。

もうウンザリしているので写真を撮る気にもならないのです。

 

7月へ延期してふと『あ、オリンピックだ...』と思ったのですが、そもそも開催されるかわかりません。コロナで生活が一変してしまいました。既存顧客さんとはZOOM商談をしているようで出張の必要があまりなくなったようです。新規のお客さんとはどうするのだろう...?と思うのですが、老兵が気にする事では無いです。

不眠、手足の痺れ、首の痛み…。

いつかはスッキリするのでしょうか?

7月こそ何があっても上京して診察したいと思うのです。

では、またご報告します。

トホホな冬だなぁ~

 

凄い雪です。嫌な季節の始まりですね。

 

 令和2年の冬はいつもより厳しい感じがします。今日(17日)の時点で雪がモッサリ降り積もっているのです。これでも日本海側よりは少ないのですが、岩手の内陸にしては珍しいくらいの量です。

 さて、東京への通院は来年の2月までずらしていますが、先月の終わりごろからコロナの患者さんが激増しています。甘い見込みで予約を先延ばしした事に少し反省です。こんな事なら8月か9月に行っておけばよかったと後悔です。

 岩手県もビックリするくらい増えてしまいました。飲食店でのクラスターというより、医療施設で増えています。

 さて、痛み止めに使用していた薬が体に合わず、夜中に無意識な行動をしている事がわかりました。その薬を飲んで人に迷惑な電話もしていました。また、寝室とは全く違う仏壇の前で寝ていた事もあります。これは下手をすれば衝動的に自殺してしまうかもしれないと思いその薬を飲むのをやめました。

 毎朝夜中に変な電話をしていないかドキドキしながら携帯をチェックしていますが、今のところは大丈夫なようです。夕方4時を過ぎると急激に体から力が抜けて行きます。多少のお酒も飲むのですが、飲んだ日は絶対クスリを飲まない、電話も寝室から離れたところに置いています。

 後縦靭帯骨化症自体の処置は済んでいると思いますが、なんか時々襲う首の不調がたまらなく不安を募らせます。昨年の今日と今年とでは立場も180度違い、その不安と苛立ちと情けなさも重なっているのでしょう。

来年はどんな年になるか?というより、どんな年にしたいのか?過ぎ去った事に不満を抱いても戻ることは出来ません。来年は自らの力でもう一度新たな分野で復活したいですね。

では、また。

また診察を延期しました。

 

11月は大丈夫だろう...と希望的観測で予約していましたが、最近コロナの患者さんが急激に増えてきました。私の所属は食品メーカーで万が一感染してしまったら会社ごとぶっ飛んでしまいます。昨日盛岡で初めてクラスターが発生したとか、一つは消防署で、もう一つは居酒屋さん。居酒屋さんは昔何度かいった事が有る美味しいと有名なお店。スタッフさんの間で感染が広がったようです。いくら対策をしていても、対処しようがない目に見えない細菌ですので、一日も早い復活を心から願うばかりです。

 先週予約を延期しました。2月の中旬まで延ばしましたが、最も寒い季節、ワクチンも無い状態なので状況は今より悪くなることが懸念されます。

 さて、病気のほうは、OPLLそのものより、その周りのコリと痺れです。寒くなってきましたので辛さもひどくなってきました。一生付き合わなければならない病だと思うのですが、時々『もういいや…』と考える夜があります。安定剤を頂き必要に応じて飲んでいるのですが、最近飲んだ薬があまり体に合いませんでした。記憶が飛ぶのです。飛んで人に電話をしているようです。気持ちがズーンと沈んでしまう事もあり、医者に相談したところ、この薬は中毒性があるのでやめたほうが良いとか...。それ以来飲むのをやめています。

 病の話を人にしてもダメだと最近感じます。辛い話をしても『俺だって…』と辛さの出し合いになるのです。別に被せなくてもいいだろう...と思うのです。

 先月55歳になりました。今の仕事は全く面白くありません。何処か他所で何かを始めようとしても、この年齢じゃ雇ってもらえません。自慢できるスキルもありませんので。

 さて、今日も何がおこるか楽しみです。面倒くさい事が起きてもジッと我慢我慢です。

手術一年我が病と司馬遼太郎

 

病気の薬より心の薬

 昨年の10月7日OPLL(後縦靭帯骨化症)の手術をしました。去年の今頃は朝食を抜いて指定時間に色んな薬を飲み点滴を打ち手術から呼ばれるのを今か今か...と待っていた時間。首を縦に切られるという恐怖と術後の痛みや不安で気持ちがズーンと落ち込んでいた時です。

 手術自体は麻酔が効いて何の痛みを感じないまま終わり、ただどこかモワーとした感覚の中右手にモルヒネのボタンを握り、痛みが来たらそのボタンを押していました。

 実は私自身この手術が大失敗して半身不随になるか最悪死んでも良いという気持ちが心の奥にありました。

 この病気は確かに難病指定されており大変な病ですが、それ以上に自分の身の回りで起きている様々な嫌な事のほうが僕にとっては難題でした。人間というものがわからなくなった事象が次々と自分に降りかかってきました。今でも状況は変わりません。事の始まりは何であるか誰であるかはわかっていますが、元々小心者でありその原因を見ると『そういう人にも家庭もあり人生もある...』と思えば捕まえてギャフンと言わせる気にはなりません。こちらが黙れば黙るほど更に酷い事をされるのですが...。僕個人としてはもう『責めるのも責められるのも程々疲れてしまった』のです。人の心理って何だろう…?と思った時に読み始めたのが司馬遼太郎です。元々好きで読んでいたのですが、入院を切っ掛けに読み返しました。3週間の入院中20冊は読んだと思います。同じ本でも昔読んだ時と今とでは全然印象が変わります。作中に出てくる様々な人間とその心理、裏の心…。自分に今降りかかっている難題の意味と目的が司馬遼太郎作品を通じて手を取るようにわかるのです。だからといって人に対してこの本に書かれている手段で人に仕返しをする気にはなりません。最も幕末時代の仕返しといえば暗殺ですが、今の時代そんな事は出来ません。『この人の目的』が何であるか?がわかれば自分の心の置き方の答えが出てくるような気がします。心無い陰口や意地悪なやり方…何をされても『そうなのね…』と受け取りそれらが小っちゃい馬鹿な事として処理する事が出来るのです。

 怒りに心を任せて行動に出ても良い結果は生まれません。保身の為に自分を正当化してくるような人が身の回りに居ても、いつかそういう人はどこかで必ず自ら墓穴を掘り痛い目に合うと思うのです。

 過去には若さゆえに怒りのまま行動を起こした結果は良いものではありませんでした。ジッと我慢し司馬遼太郎を読んで心を静めるのが一番良いストレス方法だと私は考えます。

 後縦靭帯骨化症という病は自分自身の事、多少の痛みと病から来る体の不自由は自分の事なので我慢しそれなりの対処が自己完結で出来ます。外的要因から来る難儀は中々対応は難しいですが、自分自身の心を静めるバイブル的本があれば多少心を平静に保つことができます。

 『真実は一つ』と言いますが、人の受け取り方によって真実は決して一つではありません。自分が正しいといって人に押し付けると争いに発展します。真実は人の数あると思えば強要する事もないしされることもありません。

 55歳の誕生日、後何年人生が残っているかわかりませんが『人はそれぞれ事情がある』という気持ちを持ち自分の杓子で人を批判したりするのはしないような人生をおくろうと思うのです。

 今後も裏ブログは好き勝手な事を書かせてもらいます。

 

年内は無理だな…上京は…。

 

ひと月ずつ予約を延ばしていましたが…。

 コロナは終息するどころか増える一方です。岩手県内の感染者はいつの間にか9人になりました。重症化する患者を抑えているというものの田舎という環境に住んでいると上京と同時に感染疑いを掛けられる可能性が大きいです。

 万全な対策を施していったとしても目には見えない菌との戦いは不安があります。

 高齢者と住んでいるので万が一感染して母親にうつしてしまうと命の危険性があります。母親も今月東京の病院へ行く予定でしたが予約を延ばしたようです。

 これ迄希望的観測でひと月ずつ伸ばしていましたが、今回は11月まで先延ばししました。たぶん状況は今と変わらないかもっと酷くなるのでは…と思います。やはりワクチンが出来て市中に出回るまで無理だと思います。

 今後も検査を東京で続けるか、県内の病院へ紹介状を書いてもらうか…。そろそろ決めなければならないでしょう。

 あーあ!なんちゅう病が世界中に広がったのでしょう。病院の受診以上に生活が出来なくなってしまうかもしれません。

 ロシアと中国ではワクチンが出来たとか?おたふく風邪でもワクチンが出来るまで3年かかったと評論家がテレビでいっていました。

 もしロシアと中国でワクチンが出来たというのであれば、ワクチンを作ってから世界中にバラまいたのではないか…?と穿った見方をしてしまいます。

さて、これからどうなるか?

一つ言えるのはお医者さんをはじめ、コロナと最前線で戦っている皆さんに敬意を表します。本当にお疲れ様です。

楽観的予想は駄目ですね

通院延期再びか?

 OPLL(後縦靭帯骨化症)の手術から10か月が立ちます。定期的にチェックが必要なのですが、病院へ行けない状態が続いています。

 岩手県在住で東京の病院で手術を受けました。東京の病院を選んだ理由は明らかに手術の『場数』です。地元のお医者さんに失礼かと思いますが、色んな意味を考えて東京での手術となりました。

 術後特に支障が無かったのはお医者さんのお蔭だとおもっています。

 コロナが騒ぎになり始めた頃の3月、少し首の張りを感じたので次回詳しく調べようという事でMRIなどを予約したのですが、コロナは一旦下火になったあと、今また大変な事になっています。

 大した仕事をしていませんが、僕が所属する会社では上京後2週間自宅待機が必要です。職種から言って当たり前の事なので致し方ありません。ただ、同居する母親が84歳という高齢者なので万が一母親への影響を考えればなかなか上京もできません。

 つい最近岩手でも感染者が出始めました。現在患者数は7人です。

 ほかの地域から比べると居ない様なものですが、これでもあれだけ賑わっていた町中の人が激減しました。マスクをせずに歩いていた人たちも今は厳重にマスクをしています。もし東京へ行って何も無かったとしても、暫く白い目で見られることは間違いなしです。これは地方独特の人間性かもしれません。

 下手な濡れ衣と白い目で見られるよりは暫く我慢したほうが賢明なように感じています。

…という事で今月も延期になります。

 一日も早くワクチンが出来てギスギスした地域間感情を緩和してほしいものです。

 笑い話ですが、昔は品川ナンバーを見るとカッコいいと憧れていた人たちが、今は目をしかめています。

 ああ可笑しいと思うのですが…。

 そんなものでしょう。