裏ブログ...後縦靭帯骨化症日記

後縦靭帯骨化症術後の経過と体験日記です。

手術一年我が病と司馬遼太郎

 

病気の薬より心の薬

 昨年の10月7日OPLL(後縦靭帯骨化症)の手術をしました。去年の今頃は朝食を抜いて指定時間に色んな薬を飲み点滴を打ち手術から呼ばれるのを今か今か...と待っていた時間。首を縦に切られるという恐怖と術後の痛みや不安で気持ちがズーンと落ち込んでいた時です。

 手術自体は麻酔が効いて何の痛みを感じないまま終わり、ただどこかモワーとした感覚の中右手にモルヒネのボタンを握り、痛みが来たらそのボタンを押していました。

 実は私自身この手術が大失敗して半身不随になるか最悪死んでも良いという気持ちが心の奥にありました。

 この病気は確かに難病指定されており大変な病ですが、それ以上に自分の身の回りで起きている様々な嫌な事のほうが僕にとっては難題でした。人間というものがわからなくなった事象が次々と自分に降りかかってきました。今でも状況は変わりません。事の始まりは何であるか誰であるかはわかっていますが、元々小心者でありその原因を見ると『そういう人にも家庭もあり人生もある...』と思えば捕まえてギャフンと言わせる気にはなりません。こちらが黙れば黙るほど更に酷い事をされるのですが...。僕個人としてはもう『責めるのも責められるのも程々疲れてしまった』のです。人の心理って何だろう…?と思った時に読み始めたのが司馬遼太郎です。元々好きで読んでいたのですが、入院を切っ掛けに読み返しました。3週間の入院中20冊は読んだと思います。同じ本でも昔読んだ時と今とでは全然印象が変わります。作中に出てくる様々な人間とその心理、裏の心…。自分に今降りかかっている難題の意味と目的が司馬遼太郎作品を通じて手を取るようにわかるのです。だからといって人に対してこの本に書かれている手段で人に仕返しをする気にはなりません。最も幕末時代の仕返しといえば暗殺ですが、今の時代そんな事は出来ません。『この人の目的』が何であるか?がわかれば自分の心の置き方の答えが出てくるような気がします。心無い陰口や意地悪なやり方…何をされても『そうなのね…』と受け取りそれらが小っちゃい馬鹿な事として処理する事が出来るのです。

 怒りに心を任せて行動に出ても良い結果は生まれません。保身の為に自分を正当化してくるような人が身の回りに居ても、いつかそういう人はどこかで必ず自ら墓穴を掘り痛い目に合うと思うのです。

 過去には若さゆえに怒りのまま行動を起こした結果は良いものではありませんでした。ジッと我慢し司馬遼太郎を読んで心を静めるのが一番良いストレス方法だと私は考えます。

 後縦靭帯骨化症という病は自分自身の事、多少の痛みと病から来る体の不自由は自分の事なので我慢しそれなりの対処が自己完結で出来ます。外的要因から来る難儀は中々対応は難しいですが、自分自身の心を静めるバイブル的本があれば多少心を平静に保つことができます。

 『真実は一つ』と言いますが、人の受け取り方によって真実は決して一つではありません。自分が正しいといって人に押し付けると争いに発展します。真実は人の数あると思えば強要する事もないしされることもありません。

 55歳の誕生日、後何年人生が残っているかわかりませんが『人はそれぞれ事情がある』という気持ちを持ち自分の杓子で人を批判したりするのはしないような人生をおくろうと思うのです。

 今後も裏ブログは好き勝手な事を書かせてもらいます。