裏ブログ...後縦靭帯骨化症日記

後縦靭帯骨化症術後の経過と体験日記です。

覚書:下部腸管出血での入院

 

10日間の入院について

 裏ブログなので、入院に至るまでの経緯を心の内を含めて書いておきます。今年の10月で57歳になる僕、今の仕事は完全なる窓際職で、言い表すならば頂上から地面を突き破り、いまだに下落し続ける日々のような毎日です。気持ちにゆとりが無く意思読沢も相まって身体を壊してしまいました。

 9月8日から17日まで10日間下部消化管出血による下血にて入院をしていました。入院直前の血液検査では、肝臓の数値、血糖値の数値をはじめ、数多くの異常がみつかり、下血による診察を受けた医師より、『直ちに入院』と告げられ、その日の夕方から盛岡市内にある総合病院の消化器内科へ入院しました。この入院の主な目的は、大腸から出続ける血を止めることにあり、本丸は糖尿病をはじめとする異常をきたしている血液数値を安定させることにあり、退院後の日常生活が最も重要です。

 現在毎朝『トラゼンタ5㎎』を朝食後服用し、三食それぞれ管理栄養士さんのアドバイスに基づき食べている状況です。勿論お酒は体調に小さな異変を感じた頃から断っており現在24日目になります。タバコも禁煙が好ましいと言われていますが、どうしても手が伸びてしまい今後の目標として、いづれ完全禁煙をしたいとかんがえています。

 さて、何故こんな事になったのか…?、自分なりに春先からの日常について思い返してみたいと思います。読者が少ないこのブログですが、体験談を目に触れた方には是非『転ばぬ先の杖』として参考にして頂ければ幸いです。

 

完全な不摂生が原因

 今年の2月の段階では特に大きなトラブルはありませんでした。掛かり付け内科医にて定期的な血液審査や心電図、尿酸値の検査をしています。高血圧のお薬を頂き、約1ヶ月半に一度薬が切れると同時に受診するルーティンでした。

 しかし…、この時期から少しずつお酒が増えて行ったような気がします。4月の検査は2月時点の数値で『問題ない』との結果でしたが、心の中では『随分お酒の量が増えた…』という意識がありました。本来ならば6月の中頃受診する必要があったのですが、増え続ける酒の量に不安を覚え、少し禁酒して肝臓を休めてから受診するように考えてしまいました。この間も酒量は増えるばかりでなかなか休むことはできません。

350mlビール6本…毎日(休みの前の日は8本)

ウイスキー700ml2~3日に1本

25%焼酎1リットル(ウイスキーが無い日)2~3日に1本

これが入院直前までのアルコール摂取量です。明らかにアルコール依存症で、誰が考えても体を壊すのは当たり前と思うのですが、この時は駄目だ駄目だ…と思いながら飲んでいました。酒で意識不明にしないと一日が終わらないのです。

でも、お酒を飲むと夜中に目が覚めがちです。休日の前日などは、再び眠れず深夜お酒を手にするというのが日常だったように感じます。

だんだん食欲が落ちて来て、その食欲を増すために酒を手にして食事をとるようになってしまいました。5月の連休過ぎから、日中の体調が優れず怠いまま一日を終えてしまうようになりました。ちょうどこの頃、体重計の電池が切れてしまい体重を計らないようになってしまいました。少し痩せてきたのですが、単純に三食をまともに食べていない為と捉えていました。

 お盆休み、2年ぶりに家族と再会しご飯を食べに行きました。再会のひと言目が『あれ?痩せたね...』でした。本来なら喜びたいのですが、既に異変を感じていたので、妻には『痩せたよいうよりやつれた…』とごまかしました。再会を祝してその夜はお酒をたくさん飲みましたが、あまり酔ったような感じにはなりません。『酔わない感覚ってあまりよくない…』と聞いていたこともあり、不安がよぎりました。

 8月も下旬になってくると、排便がゆるくなってきて、おならの臭いに異常を感じ始め、8月31日からお酒を少しだけ断つことにしました。

 3日間禁酒を続けても、あまり体調の改善は見られませんでした。どこか怠さが残っている感じです。そして9月3日の夕食後、トイレの便器が鮮血で真っ赤になるほど出血してしまいました。

 30代の頃から『大腸ポリープ』があり、炎症による出血が何度かありました。更に40代後半には『憩室炎』による下血を経験しているので、『またか…』という程度にしか考えておらず、月曜日にかかり付けの消化器内科へ行けばいいや…。と思っていました。幸いの事に日曜日のうちに出血は少し治まり、月曜日は特に内視鏡の診察をせず、薬を出してもらいました。医師に『体重減少が気になる‥』と伝えたところ、念のため血液検査をしてもらいました。

 次の受診は9日でしたので、それまでに治ると思っていましたが、7日の昼からまた下血が始まりました。何度もトイレへ行き、そのたびに出血しています。そして8日の朝、下着のみならず寝具にも血が流れ出ていました。この日は午前中マッサージを予約していたので、施術を受けましたが、腰や腹部を押されるたびに血が出るのではないか…?というくらい腸の中で血がたまっていたと考えます。

 午後2時、血液検査の結果を聞きに病院へ行ったところ、直ちに入院を勧められました。自宅へ戻り、カバンに入院中必要なものを詰め込み病院へ向かいました。同居する母親へは数日くらいと伝え、妻には今から入院する事を伝えました。

 

病院到着から入院までの検査

 紹介状を救急の窓口へ提出。直ぐに血液検査と点滴が始まりました。このご時世なので2つのコロナ検査を行い、陰性の結果をまってから心電図と腹部のCTをおこないました。その後内視鏡です。

 朝から体調が優れなかったので、この日の朝と昼は掛かり付けの病院から頂いた液体栄養食(ヨーグルトとチョコ味)を食べただけでしたが、前日までの食事がしっかりお腹の中にあったので、内視鏡を受けながら常に血便が出続けていたので、お医者さんや看護師さんにはとても迷惑をかけてしまいました。僕なら耐えられない環境だったと思うのです。お医者さんの有難さを凄さを改めて実感しました。

 寝ている先にモニターがあり、自分でも大腸の中を見ることができました。大腸の下部は完全に血で真っ赤になっていました。水と空気をおくりながら調べるのですが、これがお腹が裂けるのではないか…と、いうくらい苦しくて辛いものでした。一通り検査が終わり、回収タンクの水はすっかり血で染まっていて事の重大さを改めて実感させられました。

 その後入院の手続きを行い、病棟へと運ばれ入院が始まりました。

 入院生活については想像できるレベルなので割愛します。

 

現在の心境と反省

 自分に対して『バカやろう!』と怒鳴ってやりたいです。

確かに自らを取り巻く絶望的な日常の変化はあります。人間の狡さや、心の卑しさをモロに見せられ続けられている終りの無い日々があります。入院中点滴をしながらベットに横たわっていると、6人部屋に入院中の人たちの病名や症状が医師や看護婦との会話から漏れ聞こえてきます。一向に改善しない様子や、深夜に苦しそうな声を聴くと、自分は彼らに比べると軽症だという事が良くわかります。

ふと気づいたことは、今ある五体で何れ死ぬまで生きていかなければいけないと感じました。何歳まで生きるかわかりませんが、死ぬとき迄体の不調に悩まされて生きるのか、死ぬ間際までそれなりに動ける身体でいるかを選択した時、勿論間際までそれなりに動いたほうが、自分の為にも家族の為にも幸せです。

 正直なところ、今の不幸を恨み『え~い!早く殺せ!』という考えをずっと持ちながら、浴びるように酒を煽っていたと思います。書いている表のブログや新聞コラムについても、この数か月間はあまり良い表現が出来ていなかったと感じています。

 酒を飲んで朝死んでいるのならいいのですが、僕は元々頑丈な身体なのでジワジワと体を壊していくタイプだと思います。

 断酒は今日で24日目です。よく我ながら続いていると思うのです。お酒に関してはたしなむ程度口にすることができない意志の弱さで、飲まないかとことん飲むかのどっちかしかできません。怖いので飲まないのが賢明です。

 今もこれからも生きている限り今抱えている悩みと環境は変わらないと思うのです。しかし、身体だけは大切にて行こうとおもいます。これ以外の大きな目標はあえて立てないほうが良いと思うのです。

 悩んでいる同世代の皆さんへ伝わるかわかりませんが、体を壊す前から今に至るまでの事をダラダラと書いてみました。

色んな事を経験して少しでも人や自分に優しくなれたらいいです。

では、良い今日一日と良い明日をお迎えください。

 

遂に11月へ延期

 

またまた延期

 9月上京予定の病院がまた延期になってしまった。なかなかコロナの解除が儘らない東京。ワクチンは2回打ち終わっているけど、今度はデルタ株だとか...。最近患者数が減って来て落ち着き始めているようだが、11月頃はどうでしょう?ワクチンが広く国内で浸透し、重症化率も減るとは思うけど、万が一感染して会社などでばらまいた場合大問題になってしまう。これなら今年の6月時点で変更せず行っておくべきだったと後悔してしまうが、先が見えない、後悔は結果論だから致し方ない。

 実際に手術した先生は別な病院へと移動してしまった。術後2年間で体がどう変わったかは実際解らない。毎日少しずつ悪化していても小さな変化なら体が順応してしまう。手術後暫くしてネクタイの要らない生活が始まった。時々ネクタイをすると凄い違和感を覚えるが、これはネクタイに慣れていないのか、病気の進行によるものかはわからない。ただ、首から型にかけて、バン!と張っているのは解る。更に、最近ペットボトルの蓋を開けるのに力が要る。今朝もなめ茸の瓶詰の蓋を開けるのに苦労した。

 病気によるものか?加齢によるものか…?

後縦靭帯骨化症という病については、手術までのことと術後暫くのことしか情報が薄い。

 今感じる体の異変は…。

1.寝付けない。

2.仰向けで寝るのが辛い。

3.蓋を開けるのに苦労する。

4.首が張る。

5.全身的にだるい。

こんな症状が、どん!と来るのではなくジワリジワリと感じるのだ。

再手術となればどうなるのだろう?前回と同じところは問題ないと思うけど、他の部分が骨化しているのか…?

行けない期間、不安はつのるばかりである。

おしりの手術のこと

恥ずかしくない!お尻の病

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 7月6日の午前10時に痔瘻の手術をしました。今日は7月23日、23日が経ちました。痔瘻発覚から今日までのこと、今後は経過について書いてみたいと思います。手術後どんな経過になるのかをネットで検索してみたのですが、なかなか個人で書いている人がいませんでした。恥ずかしいとか不潔にしていたから痔になったと思われがちなのでしょうか?そもそも痔は不潔が原因という訳では無いようです。生活習慣であったり、体質であったり、女性の場合は出産が原因であったりしますので恥ずかしい事ではありません。

 痔には、いぼ痔・切れ痔・あな痔(痔瘻)などがあるようです。僕が今回手術したのは痔瘻(じろう)といぼ痔の二つです。痔瘻のほうは案外深刻で、いぼ痔は深刻になる前にという事で手術しました。

完治には長期戦とのことで3か月はかかるようです。それまでは気を抜かず修行僧のような生活を続けたいと思っています。

痔については正確性を期すため下のwikipediaをご覧ください。

 

ja.wikipedia.org

 

痔瘻発覚まで

 6月の終わり頃ベットから落ちて後頭部を裂傷しました。病院で縫合してもらっている最中にお尻の不調を相談しました。『それは肛門科へ行ったほうが良い』というアドバイスと、『今は全て日帰りで出来るから…』という言葉に勇気を貰い、地元の肛門科の扉を開きました。

痔瘻です…』肛門の手前には小さなポケットがあり、そのボケっとに溜まった排泄物等が原因で、肛門では無い所に通り道が出来てそれが化膿し『おでき』のようなものができました。肛門とは違う場所でしたので、まさか痔だとは思っていませんでしたが、次第に痛み出し最後は破裂して出血してしまいました。以前背中に『粉瘤』が出来た事があったので、痔ではなく粉瘤だと思っていました。この時は切開して中にある袋を切り取って縫合して終わりでしたので、今回もそんな感じだろうと軽く考えていました。

手術の前に内視鏡検査を行いその後手術というスケジュールが決まりました。

 

術前の内視鏡検査(手術3日前)

 検査の前夜下剤を飲み就寝。当日の朝食は取らず病院へ行きました。

病院にて更に浣腸を行い残っている便を全て出し切ります。

 内視鏡検査はこれまで何度も経験していますが、全て全身麻酔の上行っていました。麻酔なしの大腸内視鏡は初めてです。お腹に入ってくる空気が苦しいのと、内視鏡がお腹に当たるのが凄く苦痛でした。オナラが出そうになるのですが、何とか我慢しました。その日はずっとお腹に何か入っているようで気持ちが悪かったです。

 


 

手術当日

 前日夜8時に下剤を飲んで就寝。当日の朝食は食べず病院へ。持ち物はペットボトルの水と大きなバスタオルとの事。

 10:00病院到着。着替えを済ませベットに寝た状態で血圧を測定の後点滴を開始。暫くして看護婦さんに呼ばれ点滴の台を転がしながら徒歩で手術室へ。この間、痛くないのか?どんな感覚なのかが気になり不安な気持ちが襲ってきました。

心電図などの計測機器を体に付け終わると先生がきます。

 背骨に麻酔薬を打つと、あっという間に股間と臀部に効いてきます。触られている感覚はあるのですが、痛みだけが無いというのは不思議です。

 手術台にうつ伏せになり、すぐに手術が始まりました。先生はこれまで何万回と手術をしているので、坦々と手術を勧めます。『魚とか捌かせたら上手いだろうな...』と変な想像をしてしまいました。

いぼ痔の手術は患部に注射を打つ術式で、これはあっという間に終わりました。次は今回最大の敵痔瘻です。患部をメスでくり抜くのですが、痛みが無く皮を引っ張られている感覚しかありません。感覚を残して痛みだけ取るという麻酔の効果って凄いです。

引っ張られている感覚が続いたあと、焦げたにおいが漂ってきました。部分的に電子メスみたいなもので焼いて患部を処置していると思います。

 だいたい30分足らずで手術が終わりました。股関節部分に麻酔が効いているので、歩いて移動は出来ません。看護師さんが寝ている状態の体を絶妙なテクニックで回転させストレッチャーへ移されました。病室へ戻ると今度は腰の下に大きな板を入れ、体を横滑りさせベットの中心へベストなタイミングで移してもらいました。この作業を小柄な女性看護師2名であっさり行うのですから凄いです。

 麻酔がきれる迄4時間くらいとの事、途中点滴を追加して安静にしていました。持ってきたカレー特集の雑誌をパラパラと見たり、途中ウトウトしながらあっという間に時間は過ぎました。

 夕方4時半ごろ帰宅許可がでました。お尻の痛みはありませんが、モゾモゾした感覚であまり気分が良くありません。先生からアドバイスを頂いた後帰宅しました。食事も自由ですしトイレも自由です。但しお酒は控えるとの事です。

 帰宅後は安静にすごし、翌日通院しチェックをうけました。手術した場所は縫合されておらず、患部を抉り取った状態ですので、滲むような出血が暫く続くとのことでした。患部にはガーゼが入っていて、それが座る時に椅子に触れて気になり痛みもあります。出血対策として生まれて初めて尿漏れパットを買いました。

 

術後4日目

 通院して、痔瘻手術痕の中に埋め込んでいたガーゼを取り出しました。ガーゼが患部に当たって少し痛かったのですが、外してから少しずつ痛みが消えて行っていきました。出血は相変わらず続いていて、小さな痛みと痒さが時々あるのが今の状態です。

 

明日通院日です

 前回通院した時に先生の見立てでは状態が良かったようで、通院は2週間に1回という事になりました。明日通院日です。気になるのはいつまで血が出るのか…?ネット情報では3週間くらいは…という情報が多くあり、そろそろか?と期待しているとことです。手術4日目から今日まで使用している薬は軟膏を朝夕注入する事。入浴は傷の治りを早めるので、朝と夜入るようにしています。

 

お勧め⭐絶対買って準備しておくもの

 お尻手術経験者さんから勧められました。病院の待合室にも同じようなクッションが無数に置かれています。amazon等で『穴あきクッション』と検索すれば出てくると思いましたが、手術の前日でしたので近くのお店を探して『ファッションセンターしまむら』で見つけました。値段は税込みで700円くらいでしたので2つ購入し、自宅用と会社用を準備しました。手術直後は必須でこれがあるだけで痛みから解放されます。

あと男性には経験が無いと思いますが、女性用のナプキンは必須です。最初わからず尿漏れパットの300CCを買ってしまったのですが、これは大きすぎます。現在ライフリーの120CCを使っていますが、これでも大きいくらいです。術後暫くは何処から血が漏れてくるかわからないので120CCでも良いと思いますが、もっと小さいサイズでも良いかと思っています。衣服やシーツを汚したくない場合は120CCが安心です。下着はトランクスだと不安なので、肌に密着するブリーフかボクサータイプがずれなくていいですね。

 

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手術がらみのメリット

 手術前から血圧が高くて気になっていました。体重も2年間で約15㌔増えてしまいました。お医者さんから術後は暫くお酒は控えてと言われましたので、良い機会ですのでずっと禁酒しています。手術場所がお尻という事もあり、食べる量も減っていたのかもしれませんが、僅か20足らずで5キロ体重が落ち、血圧も185から135まで落ちています。痔の手術のおかげで少し健康になったかもしれません。

 

以上が、今日までの経過です。3か月はかかると言われているので、経過はまたお伝えしたいと思います。

 

それではまた!

裏ブログの号外:禁煙決意

 

チャンピックスという禁煙補助剤

今日は2021年6月11日、ふと朝9時頃『禁煙』したくなった。

20歳前から吸い始め35年間禁煙をしたことが無いまま現在に至っている。

この間たばこの値段は、180円→200円→220円→250円→300円...…そして今は400円と値上がりしている。マイルドセブンに始まり、セブンスターへと切り替わり、マイルドセブンメビウスに名称変更した。今メビウスは450円くらいだろうか、今吸っている煙草はフィリップモリスメビウスより安い400円である。人生のたばこ銭を全部足したら下手したらそれなりの高級車が買えるかもしれない。

 タバコを吸い続けている一番の理由はストレスからの解放…という言い訳。確かにイライラするとすぐにでもタバコが吸いたくなる。

『自分が人様よりストレスを受ける環境にある』と思ってタバコをやめる行動をとっていなかった。

 最悪なのはこのブログのメインである『後縦靭帯骨化症患者』なのに、手術前再三医師に禁煙を促されたのに全く禁煙の意思がなかった。手術後数日して外出できるようになって最初に行った行動は『タバコとライター』を買いにコンビニへ行ったこと。

最悪である…。

最近夜中に咽て目が覚める。喉がシュルシュルなる…痰がでる。少し階段を上がるだけで呼吸が荒くなる…。タバコの所為だろうというのは解っている。

 色んな理由をつけて吸い続けて来たけど、体調を鑑みればそろそろ自分と向き合わなければいけない。

今日の10:00気持ちを決めて禁煙の為に病院の扉を開いた。

現在1日60本くらい吸っている完全な中毒者、お医者さんから『60本とは…』と呆れられ、『できるかなぁ~』と少し不安がられてしまった。

 病院では、受診の前に生活状況を確認する予診票を書き、呼気内の一酸化炭素濃度を測定。その後ファイザーが作成した喫煙のデメリット禁煙のメリット、薬に関する説明と注意事項等の動画を数分視聴したのち、お医者さんの診察を受ける。

診察を受けた後、お医者さんへ『禁煙宣言』的な紙に署名して治療がはじまる。

 

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☝これが最初の2週間分、薬の量を増やしていきながらニコチンと戦う。

 

禁煙までのプログラム

 『チャンピックス』というファイザー製の錠剤を使う。

・トータル12週間かけて禁煙を治療してゆく内容。

・受診後1週間目を禁煙開始に設定する。

・最初の3日間は1日0.5㎎の錠剤を1回飲む。

・4日目から7日までは朝晩夕食後に1錠ずつ。

・8日目からは一切喫煙してはいけない。

・8日目から1㎎の錠剤を朝晩食事の後に飲む。

・14日目を目処に受診と経過観察の為に病院へ行く。

 ※この時点で一酸化濃度を調べ喫煙しているようであれば医者から見放される。

・煙草を手にすることなく12週間錠剤を服用続けると禁煙成功である。

チャンピックスという薬は、ニコレットやニコチンパッチのような『ニコチン成分』を含んでいません。タバコが吸いたいという脳内物質に蓋をして吸いたい気持ちを抑えるようです。脳内物質に蓋をしてしまえば、徐々にタバコも不味くなるとの事。

☟詳しくはファイザーさんのページを貼り付けます。

sugu-kinen.jp

 

保険が効くのは12週間

 お医者さんとお話をしながら、12週間で体からニコチンを抜いていく治療を行う。12週間経つと『タバコが吸いたい』という欲望がなくなるらしい。

12週間のうちに挫折してしまうとそこで治療は終わってしまう。12週間以上薬を処方できるらしいのですが、ここから先は保険が効かず実費となるようです。

舘ひろしさんや温水洋一さんも『チャンピックス』で禁煙したとか...。

さて…禁煙が成功するかどうか乞うご期待です。

人一倍意志薄弱には自信がある僕。このチャンピックスで禁煙ができなければ人間失格のような気がします。

 

時々経過をアップします。

それではまた!

 

 

選択と集中って実は最悪な事だと思う

ふと昨夜おもったこと

 ブログタイトルとは関係のない内容を書いて申し訳ないです。

 

久しぶりに学生時代の夢を見た。

仲間内で宴会をしたのだが、ある友人が会計の時に『俺そんなに喰っていないし、ウーロン茶一杯しか飲んでいない』と割り勘負けを強調した。

その人は実在する人物で学生時代に『鍋は嫌いだ…幾ら食べたかわからないから』とも言っていた。

その友人に限らず、そんな考えの人とは宴会をしたくない。

 

さて、バブルが崩壊して平成時代はほぼほぼ不景気が続いた。

選択と集中』という言葉が広がりどの企業も行った。

費用対効果を考えることは大切な事だけど、目の前に今のメリットがあるか否か?を考え過ぎるようになった気がする。

さらに、どれだけ過去にお世話になったか足を向けて寝られてい位の人や組織に対しても、今メリットが無ければカットしてしまう風潮になっている。

古い考えなのかもしれないけど、僕は違和感を感じる。

選択と集中という響きの良いワードは先に挙げたた割り勘宴会と同じことだと思う。

好きな物だけを拾い食いして俺は酒も飲まないから○○円しか払わないという人とは同じテーブルで食事をしたくない。客に対してこの仕事はするけど、これはやらない…、美味しい仕事だけくださいという会社(人)とは付き合いたくない。

選択と集中って、結局良いとこ取りだと思うのです。

関係ない事を書きました。

何だか最近世の中がヒステリックになっているような気がします。

色んな問題がテレビで流れています。

僕個人の考えですが、良いか悪いか別として、社会全体が『しょうがねぇ~なぁ~』という寛容さがあったころのほうが楽しい世の中だと思うのですが…。重箱の隅をつつくような正義は偽善だと思うのです。

結論が無いまま書いちゃいましたが裏ブログですのでご容赦を。

世の中は曖昧ぐらいがちょうどいいと感じる今日この頃です。

2月25日のブログその後…

あっという間に天国へ…

 26日の午前1時〇〇ちゃんは天国へ旅立ちました。まさかこんなに早く旅立つなんて予想していませんでした。日を改めてもう一度と思っていたのですが、〇〇ちゃんらしい潔さだったような気がします。

 ご自宅へお別れに行ってきました。家族同様、否、家族以上の存在だった〇〇ちゃん。18歳までは親以上に面倒を見て貰いました。

 納棺の日、出棺の日、火葬の時、そのたびに声が詰まりそうになりました。

 ご遺族も僕の事を家族同様に一連の葬儀に加えて頂きました。棺に僕の母親から貰ったという着物と帯を入れてくれました。遺影は社員旅行の時に撮ったスナップ写真との事。

素敵な笑顔でした。

火葬の途中、足の悪い母親を迎えに行くから...と言って火葬場から自宅へ戻りました。骨を拾わなければならなかったのですが、骨になった姿をみたくなかったというのが僕の気持ちです。

 葬儀場で母親と〇〇ちゃんを待ちました。葬儀はコロナの影響で簡略化され淡々と終わりました。法事も事情により折詰のお料理を持って帰り自宅で食べました。びっくりするほどのご馳走です。最後まで人の為に奮発されたと思います。全て食べきることが供養と思い食べさせて頂きました。

どうぞ安らかに眠ってください。

本当に育ててくれてありがとうございます。

〇〇ちゃんのお蔭です。

合掌

おせわになった人のはなし

緩和病棟へお見舞い

 その人は僕が物心ついた頃から家で働いていた。その人は中学卒業と同時に沿岸から内陸にある僕の家で住み込みで働きはじめ、定年退職を迎えるまで勤めて頂いた。家が商売をはじめ忙しいときは商売も手伝い、少し面倒くさかった祖母の面倒も見てくれた。昭和30年代は、そういう人がたくさんいた。住み込みで働き、針仕事や料理を覚え、お嫁さんに行くときはその支度をして送り出すのが当時の文化だった。その人は近くの人と結婚し子どもを設けてもずっと家の仕事をして頂いた。定年になってからも、お盆前には何も言わずお墓の掃除もしてくれた。時々庭の草が綺麗になっているのもその人が自主的にしてくれていた。昨年暮れ、母親と家を訪ねお歳暮と日頃の謝礼を少しばかり置いて帰ってきた。何日かするとまたお庭が綺麗になっている。

 1週間ほどまえ、娘さんから電話があり病院の緩和ケアに入院しているとの事。緩和ケアという事は...である。コロナにて簡単に面会は出来ないけど、会いたい人の名前を病院に伝えた人だけ病室であえるようだ。昨日母とお見舞いに行ってきた。

 全く変わり果てた姿に涙が出そうになった。その人は苦しいながらも一生懸命、『お世話になりました有難うございます』と言ってくれる。

 母も私ももう少し長く居たかったけど、これ以上居ると涙があふれてしまい、気を遣わせそうだったので早々に切り上げてきた。

 帰りの車中、色んな思い出を母と話した。

 そんなに長く生きられないだろうという事が分かった。

 〇〇ちゃんと僕は物心ついた頃からそう呼んでいた。

 看病をされている娘さんは大変で勝手な事だと思うけど、もう少し長く生きていてほしい。

 僕はその人のように、苦しいベットの上で有難うと言えるのだろうか?

 人から有難うと言ってもらうより自分からありがとうといえる人になりたいものだ。