ネクタイもスーツも捨てました

体も心も軽くなったおじさんの話しです

覚書:下部腸管出血での入院

 

10日間の入院について

 裏ブログなので、入院に至るまでの経緯を心の内を含めて書いておきます。今年の10月で57歳になる僕、今の仕事は完全なる窓際職で、言い表すならば頂上から地面を突き破り、いまだに下落し続ける日々のような毎日です。気持ちにゆとりが無く意思読沢も相まって身体を壊してしまいました。

 9月8日から17日まで10日間下部消化管出血による下血にて入院をしていました。入院直前の血液検査では、肝臓の数値、血糖値の数値をはじめ、数多くの異常がみつかり、下血による診察を受けた医師より、『直ちに入院』と告げられ、その日の夕方から盛岡市内にある総合病院の消化器内科へ入院しました。この入院の主な目的は、大腸から出続ける血を止めることにあり、本丸は糖尿病をはじめとする異常をきたしている血液数値を安定させることにあり、退院後の日常生活が最も重要です。

 現在毎朝『トラゼンタ5㎎』を朝食後服用し、三食それぞれ管理栄養士さんのアドバイスに基づき食べている状況です。勿論お酒は体調に小さな異変を感じた頃から断っており現在24日目になります。タバコも禁煙が好ましいと言われていますが、どうしても手が伸びてしまい今後の目標として、いづれ完全禁煙をしたいとかんがえています。

 さて、何故こんな事になったのか…?、自分なりに春先からの日常について思い返してみたいと思います。読者が少ないこのブログですが、体験談を目に触れた方には是非『転ばぬ先の杖』として参考にして頂ければ幸いです。

 

完全な不摂生が原因

 今年の2月の段階では特に大きなトラブルはありませんでした。掛かり付け内科医にて定期的な血液審査や心電図、尿酸値の検査をしています。高血圧のお薬を頂き、約1ヶ月半に一度薬が切れると同時に受診するルーティンでした。

 しかし…、この時期から少しずつお酒が増えて行ったような気がします。4月の検査は2月時点の数値で『問題ない』との結果でしたが、心の中では『随分お酒の量が増えた…』という意識がありました。本来ならば6月の中頃受診する必要があったのですが、増え続ける酒の量に不安を覚え、少し禁酒して肝臓を休めてから受診するように考えてしまいました。この間も酒量は増えるばかりでなかなか休むことはできません。

350mlビール6本…毎日(休みの前の日は8本)

ウイスキー700ml2~3日に1本

25%焼酎1リットル(ウイスキーが無い日)2~3日に1本

これが入院直前までのアルコール摂取量です。明らかにアルコール依存症で、誰が考えても体を壊すのは当たり前と思うのですが、この時は駄目だ駄目だ…と思いながら飲んでいました。酒で意識不明にしないと一日が終わらないのです。

でも、お酒を飲むと夜中に目が覚めがちです。休日の前日などは、再び眠れず深夜お酒を手にするというのが日常だったように感じます。

だんだん食欲が落ちて来て、その食欲を増すために酒を手にして食事をとるようになってしまいました。5月の連休過ぎから、日中の体調が優れず怠いまま一日を終えてしまうようになりました。ちょうどこの頃、体重計の電池が切れてしまい体重を計らないようになってしまいました。少し痩せてきたのですが、単純に三食をまともに食べていない為と捉えていました。

 お盆休み、2年ぶりに家族と再会しご飯を食べに行きました。再会のひと言目が『あれ?痩せたね...』でした。本来なら喜びたいのですが、既に異変を感じていたので、妻には『痩せたよいうよりやつれた…』とごまかしました。再会を祝してその夜はお酒をたくさん飲みましたが、あまり酔ったような感じにはなりません。『酔わない感覚ってあまりよくない…』と聞いていたこともあり、不安がよぎりました。

 8月も下旬になってくると、排便がゆるくなってきて、おならの臭いに異常を感じ始め、8月31日からお酒を少しだけ断つことにしました。

 3日間禁酒を続けても、あまり体調の改善は見られませんでした。どこか怠さが残っている感じです。そして9月3日の夕食後、トイレの便器が鮮血で真っ赤になるほど出血してしまいました。

 30代の頃から『大腸ポリープ』があり、炎症による出血が何度かありました。更に40代後半には『憩室炎』による下血を経験しているので、『またか…』という程度にしか考えておらず、月曜日にかかり付けの消化器内科へ行けばいいや…。と思っていました。幸いの事に日曜日のうちに出血は少し治まり、月曜日は特に内視鏡の診察をせず、薬を出してもらいました。医師に『体重減少が気になる‥』と伝えたところ、念のため血液検査をしてもらいました。

 次の受診は9日でしたので、それまでに治ると思っていましたが、7日の昼からまた下血が始まりました。何度もトイレへ行き、そのたびに出血しています。そして8日の朝、下着のみならず寝具にも血が流れ出ていました。この日は午前中マッサージを予約していたので、施術を受けましたが、腰や腹部を押されるたびに血が出るのではないか…?というくらい腸の中で血がたまっていたと考えます。

 午後2時、血液検査の結果を聞きに病院へ行ったところ、直ちに入院を勧められました。自宅へ戻り、カバンに入院中必要なものを詰め込み病院へ向かいました。同居する母親へは数日くらいと伝え、妻には今から入院する事を伝えました。

 

病院到着から入院までの検査

 紹介状を救急の窓口へ提出。直ぐに血液検査と点滴が始まりました。このご時世なので2つのコロナ検査を行い、陰性の結果をまってから心電図と腹部のCTをおこないました。その後内視鏡です。

 朝から体調が優れなかったので、この日の朝と昼は掛かり付けの病院から頂いた液体栄養食(ヨーグルトとチョコ味)を食べただけでしたが、前日までの食事がしっかりお腹の中にあったので、内視鏡を受けながら常に血便が出続けていたので、お医者さんや看護師さんにはとても迷惑をかけてしまいました。僕なら耐えられない環境だったと思うのです。お医者さんの有難さを凄さを改めて実感しました。

 寝ている先にモニターがあり、自分でも大腸の中を見ることができました。大腸の下部は完全に血で真っ赤になっていました。水と空気をおくりながら調べるのですが、これがお腹が裂けるのではないか…と、いうくらい苦しくて辛いものでした。一通り検査が終わり、回収タンクの水はすっかり血で染まっていて事の重大さを改めて実感させられました。

 その後入院の手続きを行い、病棟へと運ばれ入院が始まりました。

 入院生活については想像できるレベルなので割愛します。

 

現在の心境と反省

 自分に対して『バカやろう!』と怒鳴ってやりたいです。

確かに自らを取り巻く絶望的な日常の変化はあります。人間の狡さや、心の卑しさをモロに見せられ続けられている終りの無い日々があります。入院中点滴をしながらベットに横たわっていると、6人部屋に入院中の人たちの病名や症状が医師や看護婦との会話から漏れ聞こえてきます。一向に改善しない様子や、深夜に苦しそうな声を聴くと、自分は彼らに比べると軽症だという事が良くわかります。

ふと気づいたことは、今ある五体で何れ死ぬまで生きていかなければいけないと感じました。何歳まで生きるかわかりませんが、死ぬとき迄体の不調に悩まされて生きるのか、死ぬ間際までそれなりに動ける身体でいるかを選択した時、勿論間際までそれなりに動いたほうが、自分の為にも家族の為にも幸せです。

 正直なところ、今の不幸を恨み『え~い!早く殺せ!』という考えをずっと持ちながら、浴びるように酒を煽っていたと思います。書いている表のブログや新聞コラムについても、この数か月間はあまり良い表現が出来ていなかったと感じています。

 酒を飲んで朝死んでいるのならいいのですが、僕は元々頑丈な身体なのでジワジワと体を壊していくタイプだと思います。

 断酒は今日で24日目です。よく我ながら続いていると思うのです。お酒に関してはたしなむ程度口にすることができない意志の弱さで、飲まないかとことん飲むかのどっちかしかできません。怖いので飲まないのが賢明です。

 今もこれからも生きている限り今抱えている悩みと環境は変わらないと思うのです。しかし、身体だけは大切にて行こうとおもいます。これ以外の大きな目標はあえて立てないほうが良いと思うのです。

 悩んでいる同世代の皆さんへ伝わるかわかりませんが、体を壊す前から今に至るまでの事をダラダラと書いてみました。

色んな事を経験して少しでも人や自分に優しくなれたらいいです。

では、良い今日一日と良い明日をお迎えください。